Pierre Bayard

来日するバイヤール教授は『アクロイドを殺したのはだれか』(筑摩書房 2001年)の著者*1
邦訳は一冊だけだが、2004年には Peut-on appliquer la littérature à la psychanalyse? (Minuit, Paris 2004)、2005年には Demain est ecrit(Minuit, Paris 2005)を上梓しているとのことで、今回の講演もその内容に即してのものなのだろう。

歴史叙述の規則と精神分析の独自性とに鑑みて、これを単なる錯視として斥けることは簡単であるが、それにしても、と問うて、ピエール・バイヤールは新著『文学を精神分析に応用することはできるか』を著した。もちろん、テクスト読解にあたって分析の知見を取り込んできた自身の道程を踏まえての問いかけである。
文学と精神分析が相互に還元不可能であるとして、それにしても前者が後者とは別の心的モデルを描き出しているということは本当ではないだろうか。クレティアン・ド・トロワからロマン・ギャリーシェークスピアからイタロ・カルヴィーノまでを俎上にのせながら、著者は、小説言語のみが呈示しうる心的装置のありかたをさまざまに検討してゆく。

Web 上には、こんなエッセイもあった。

しかし会話はむずかしい。なまじっか最初の受け答えをうまく切り抜けると,相手はこちらが相当話せるものと勘違いしてまくしたてはじめる。こちらはこちらで,相手の言うことがさっぱり理解できないまま,乏しい知識を総動員して必死でしゃべるので,そうなるともうちんぷんかんぷんである。二つのモノローグといったところだ。

*1:未読。クリスティ作品のネタバレのオンパレードということで、先に読了すべき原典があと二つ、三つあるうちは、まだ読めない。cf. クリスティネタバレ作品一覧(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/4231/books/netabare_rist.html